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無罪を主張すると殺される(飯塚事件)

2009628

宇佐美 保

 先の拙文《自白を尊重する裁判の矛盾》の続きとしてこの拙文を書かせて頂きます。

 

 先ずは、森英介法相の談話を、産経新聞(200965日)の記事から引用させて頂きます。

 

 足利事件で菅家利和さん(62)の再審無罪がほぼ確実になったことについて、森英介法相は5日の閣議後会見で、「検察としては極めて重く受け止めており、いずれ適切に対処すると思っている」と話した。

 

 また、最高検に設置された検証チームに対し「十分な成果を上げ、今後の司法手続きに反映するようにしてほしい」とし、過去の事件の洗い直しについても、「個人的には、必要に応じて求められればできる限り対応しなければいけないと思う。やり方はチームで検討すること」と述べた。

 

 さらに、虚偽の自白を引き出した取り調べをめぐる可視化(全面録音録画)問題では、「取り調べの効果を十分にあげるためには全面的な録音録画は支障になる。いろいろなご意見があって、総合的な検討は必要だが、現時点では(可視化を)容認する方向の検討はしにくい」と話した。

 

 

 「虚偽の自白を引き出した」結果、十七年半に渡って多大な災難を菅家利和さんに与えておきながら、「取り調べの効果を十分にあげるためには全面的な録音録画は支障になる」と語る森氏の人間性を私は疑います。

(菅谷さんへの録画なしの取調べは、効果云々を言える状態ではなかった筈です)

 

 更に「過去の事件の洗い直しについても、“個人的には、必要に応じて求められればできる限り対応しなければいけないと思う”と、いけしゃあしゃあと語っているのには驚かされます。

 

この「いけしゃあしゃあぶり」の背景を、「1992年の飯塚事件」に関する『週刊現代(2009.6.13号)』の「少女二人殺害「DNA冤罪」でも死刑にされた犠牲者(筆者注:久間氏)」との記事を処々抜粋させて頂きます。

(飯塚事件に関しては、文末に引用させて頂く「東京新聞(2009614日)」の記事をご参照下さい)

 

 

逮捕された久間氏は一貫して犯行を否認し、無罪を主張。しかし、‘99年に福岡地裁で、’01年には福岡高裁で死刑判決を受け、‘06年には最高裁で上告が棄却され、死刑が確定する。そして081028日、麻生内閣で最初の死刑執行となった。

 

 この飯塚事件のDNA鑑定が誤審だった足利事件と同じ鑑定方法、MCTl18だったのである

 

 

昨年の1015日に、足利事件について、東京高検の検察官が、DNAの再鑑定をすることを前提とした意見書を出したんです。

つまり、検察官も再鑑定することについて、前向きに了解した。ところが、久間さんは、その2週間後に執行されました

 

 

 法務大臣の森(英介)氏は‘08924日に就任したばかりでしたが1028日に久間さんの死刑を執行している

 

 先の談話では、「過去の事件の洗い直しについても、“個人的には、必要に応じて求められればできる限り対応しなければいけないと思う”と森英介法相は語っていますが、少なくとも、自ら死刑執行を命じる事件に対しては、“たとえ求められていなくても”、森英介法相自身が率先して、「事件の洗い直し」(少なくとも疑問点の有無のチェック)を行うべきと存じます。

 

 

 なのに

 何故「森英介法相」は、就任1ヶ月と4日で、“ベルトコンベアのスイッチを押すように”
久間さんの死刑を執行」したのでしょうか!?

そして、スイッチを押す2週間前に
一貫して犯行を否認し、無罪を主張していた久間氏を有罪に陥れた
DNA鑑定」と
同じ
DNA鑑定方法(MCTl18型)による足利事件について、
東京高検の検察官が、
DNAの再鑑定をすることを前提とした意見書を出したというのに!

 

 

 「法務大臣」が率先して国民の命を奪う事が許されるのですか!?

1977年ダッカに於いて日航機乗っ取られた際、当時の日本国首相の福田氏は“人命は地球より重い”との見解のもと、ハイジャック犯の要求を全面的に呑んだとのことです。

 

しかし、この“人命”に関しては、私達のごとき“一般人の命”ではなく“銀行会長でカーター大統領の友人の命”であった事は、先の拙文《ダッカ人質事件と米国人》にも記述しました。

 

 ですから、

森英介法相」、又、麻生首相にとっては、“人命の重さは均等ではなく
ご自分達(セレブ)の命とは異なって、
一般人の命は、ベルトコンベアに載せて処理するくらいのものと考えているのでしょう。

 

 なにしろ、「森英介法相」に関しては、週刊ポスト(2009.5.15号)の「衆院選300選挙区世襲議員184人」の記事中に次のように「3世議員」と書かれているのですから! 

 

 

 祖父で昭和電工の創設者、森矗昶氏以来の3世議員である森英介・法相は、「大正13年からずっと一族で議席をいただいてきた。そういう家に生まれただけで排除されるのは不合理。有権者から理解を得られればいい」と、世襲規制論に反対の声をあげた。

 

 

 その上、麻生太郎氏は、ご存知「セレブ中のセルブ」です。

しかし、そのセレブの財力の源に関して『週刊金曜日(2008103日号)』の「朝鮮人強制連行で富を築いた麻生財閥」の記事中には次のように書かれています。

 

 

 麻生首相の曽祖父・麻生太吉と父・太賀吉は、日本帝国主義時代、朝鮮人に多大な苦痛と甚大な被害を及ぼしたことで知られる。

一つは太吉が興し、太賀吉が受け継いだ麻生鉱業が多数の朝鮮人を低賃金で雇い、多大な利益をあげたことだ。朝鮮人労働者は一九三二年八月、貸金搾取や賃金差別に耐えられずストライもを断行、差別待遇の撤廃、賃金の即時支払いなどを要求したほどだ。

 戦時中に朝鮮人を強制連行した企業名と連行者数を今日までに明らかにされている範囲で見てみると、三菱鉱業会社が一万三三九〇人と全国トップで、麻生鉱業が一万六二三人と二位(厚生労働省資料より)。しかし、福岡にある麻生鉱業系列の麻生上三賭炭鉱をはじめ七炭鉱で死亡した朝鮮人名簿に記載された犠牲者は、実は、ごく一部に過ぎないことがわかってきた(二〇〇六年三月三日、一七日号本誌で詳細を報告)。・・・

 

 

 足利事件に続いて、飯塚事件でも再審請求が提出され冤罪が公になる前に、彼ら(セレブ議員達、そして法務省)は、久間氏の命を断ってしまったと思えてなりません。

 

 

 久間氏が不法にも命を絶たれてしまったと思われる根拠を、先と同様に『週刊現代(2009.6.13号)』から、引用させて頂きます。

 

 

執行はまだ先と思っていた

 

 飯塚事件弁護団の千野博之弁護士が語る。

 「足利事件のDNA再鑑定をするという流れがありながら、その直後に死刑が執行されましたから、無念でなりませんでした。久問さん本人も、弁護団が面会をした際に、もう少し先(の執行)だという気持ちがあったものですから、ショックを受けました。

 うがった見方かもしれませんが、足利事件の影響が飯塚事件にも波及するのではないかと(司法が)考えたという見方もできるのではないでしょうか本件のDNA鑑定では、足利事件の鑑定人と同一人物がいるのです。一方で再鑑定が認められ、もう一方では拙速とも言える死刑が執行されました。また、再鑑定をしょうにも、本件においては試料が残されていないのです。証拠の中心となったDNA鑑定の再鑑定もできる状態ではない。

 DNA鑑定だけではなく、逮捕根拠となった、いくつかの目撃証言や繊維鑑定についてもおかしな点が散見できます。これだけ争点が多い事件にもかかわらず、公判の進行は普通では考えられないほど、きわめて早かったのです」

 飯塚事件のDNA鑑定も、足利事件と同様に誤審″だつたのではないのか。

だとすれば、有力な証拠が消え、久間氏は冤罪の可能性が濃厚だったにもかかわらず、死刑を執行された犠牲者ということになる。

 本誌は取材を進めるなかで、飯塚事件のDNA鑑定が誤審″であるという衝撃的な証言を得た。証言の主は石山c夫元帝京大教授。飯塚事件発生当時、福岡県警からの依頼で、科警研とは別にDNA鑑定を行ったまさにその人である。

DNA鑑定の第一人者である石山氏が語る

「科警研の技官は素人集団のようなものですよ。何回もやり直しをしなければならないような技術しか持っていなかった。それが日本の科学捜査″だったんです。私は当時から言っていましたよ。『あと10年も経てば、(DNAの)再鑑定の要請が山ほど起きるだろう』とね。今の現象は、当たり前のことが、ようやく表に出ただけのことです。

 裁判官は鑑定が具体的にどう行われるかなんてわからないですよ。実際の鑑定の流れだとか、技術的な問題点なんて知らないし、出てきた書類でしか判断できませんからね」

 石山氏はあまりに衝撃的な内容を赤裸々に語る。依頼を受けた経緯について石山氏が続ける。

あれはまだ久間が逮捕される前でした。当時の検察庁の幹部が私の知人で、『どうも科警研の鑑定が信用できない』と言うんです。それ一本で公判をやる自信がないから、私に鑑定を頼んできたんです。警察が持ってきた試料は、現場にあった血液を採取して脱脂綿に付着させた針の先ほどの微量の血痕だった。おまけに緑色に変色して腐ってしまっていた。これではMCTl18(での鑑定)はできないのでミトコンドリアDNAをやった。そうしたら、3人分が出てきたという科警研の鑑定結果とは異なり、二人の女の子のDNAだけが出て、久間のは出ないんですよ。それで知人(検察幹部)のところに鑑定結果を持っていって『科警研の鑑定では起訴なんてできないと思う』と言ったんです

 

 

DNA鑑定の第一人者である石山氏が、検察庁の幹部が私の知人で、『どうも科警研の鑑定が信用できない』からと依頼され石山氏が行った鑑定は「科警研の鑑定結果とは異なり、二人の女の子のDNAだけが出て、久間のは出ない」から『科警研の鑑定では起訴なんてできないと思う』と知人(検察幹部)に言ったのに、福岡県警は久間氏を逮捕、起訴に持ち込んだのです。

(この件も引き続き引用させて頂きます)

 

 

お粗末だった科警研の技術

 

だがそれでも福岡県警は久間氏を逮捕、起訴に持ち込んだ

「その後、検事が、法廷で検察側として、鑑定結果を証言してくれと頼んできた。

久問のDNAが入っていない理由を説明していただけないかと。つまり、混合血痕だが、久間のもの(血液)が私が鑑定した試料に入っていない可能性があるということを言えば、結果として科警研の鑑定も正しいということになるからね。

 でも法廷では、確かに説明としてはそうなるが、あくまで科警研の鑑定がしっかりとしたものでなければならないと証言したのです。実際にデータを見せてもらったら科学的に評価できる鑑定ではなかった

私の教室でなら『もう一度やり直せ』と言いますよ、と証言しました」(石山氏)

 石山氏によれば、当時の科警研のDNA鑑定の鑑定技術はお粗末なものだったという。

「科警研の技官達は、あまりに鑑定技術が未熟でした。なぜこちらにコンマ5ミリの脱脂綿の屑しかよこさないのか、元はどのくらいあったのか、と聞いたんです。そうしたら、初め試料は小指の頭ほど多量にあった、何度も慎重にやったかち全部使ってしまったと言っていたが、DNA鑑定というのは、何度もやる類のものではないのです。当時、科警研には、MCT鑑定では必要不可欠なゲルプレート(DNAを落とすゲル状の板)をきれいにつくれる人間がいなかった。プレートが不均一だと、同じ試料を使った鑑定でも結果がずれます。DNA鑑定だからといって、完全なはずがないんです。鑑定人の技術にかかっているんだから。

 それにもし何度もやったんだったら、鑑定のあらゆるデータを公開しなければいけないでしょう。どんな鑑定をそれぞれ何回して、その結果はどうだったのかをね。でもそんなものないんだから。それではインチキですよ。結局はモラルハザードなんですね。科警研ではDNA鑑定のための予算を取ってしまったから、当時の責任者としては、是が非でも成果を出さなければならなかった。それでまあ、やってしまったんだろうな。予算をたっぷり取って、人や機材を入れて、その結果がそれだよ。科警研の鑑定は、あれは間違いだったんですよ。おそらく久間が犯人であるという決定的な別の証拠があったんだろう。そうでないと、逮捕できるはずがないよ

 しかしその後も、検察側からは、疑惑のDNA鑑定を越える有力な証拠が提出されることはなく、公判は終わり、久間氏は死刑を執行された

 

 

 このように、石山氏の「科警研の鑑定は、あれは間違いだったんですよ。おそらく久間が犯人であるという決定的な別の証拠があったんだろう。そうでないと、逮捕できるはずがないよ」との見解に対して、「検察側からは、疑惑のDNA鑑定を越える有力な証拠が提出されることはなく、公判は終わり、久間氏は死刑を執行された。」というのですから、久間氏は冤罪で殺されたのでしょう。

 

 

 久間氏の無念さは如何許りだったでしょうか?

そこで、『週刊現代』からの引用を続けさせて頂きます。

 

 

ここに、死刑を執行される直前の‘088月に書かれた久問氏の肉声″がある。

「死刑廃止フォーラム90」のアンケートに、久間氏本人が答えたものだ。「死」の予感が迫るなかで、無罪を主張する久間氏の一貫した緊張感は途切れていない。

 

(真実は一つしかない。私は無実である。人々の目から見て明らかに冤罪とわかる本件の真実に対して、誤った地裁、高裁判決を最高裁は正すことなく棄却した。私はこの棄却を裁判所への大きな落胆と怒りもって受け止める。棄却に対するこの怒りは決して衰えることはないし、真実は必ず再審にて、この暗闇を照らすであろうことを信じて疑わない。真実は無実であり、これは何ら揺らぐことはない。私は無実の罪で捕らわれてから、拘置所に十四年収監されている。今年の一月九日で70歳になった)

 

 

 更に、久間氏の肉声″を続けさせて頂きます。

 

 

国の司法に「否」を貫き通す

 

(本件は裁判所の有罪認定が誤っていることが、非常に分かりやすい事件である。裁判所の真実に向き合う姿勢の欠如は、決して許されることではない。この不当判決を私は絶対に認めることはできない。平成六年九月二三日に不当逮捕された私は、警察の拷問による「自白」の強要も、一貫して無実を訴えつづけたのは、裁判所は真実を分かってくれるという信頼をもっていたからである。しかし、繰り返される死刑判決によって、裁判所に対する信頼は音を立てて崩れ去った。

私にとっての十四年は、単純に十四年という数字ではない……社会から完全に隔離され孤独のなかで人間としての権利と無実という真実を奪われてきた時間である。これは大きな人権侵害である)

(この事件には、無実の証拠は沢山あるが、有罪の直接証拠は何もない。ここで大切なのは、有罪の直接証拠がないままに、ひとりの人間に「死」を宣告してはばからないこの国の司法に対して、私は「否」を貫き通します)

 

 

 更に、『週刊現代』の記事は次のように終わっています。

 

 

 飯塚事件の弁護団によれば、「今後は死後再審の請求も視野に入れていく」という。麻生首相は、お膝元で起きたこの取り返しのつかない国家の殺人″を知つているのだろうか

 

 

 ところが、朝日新聞(200964日「首相ぶら下がり記事」)によると、この麻生太郎氏は次のような按配です。

 

 

 ――足利事件で服役していた菅家さんが今日釈放されました。再審が始まる前の釈放は極めて異例ですが、総理の受け止めをお願いします。

 

 「再審請求に関する、いわゆる司法手続きってのは、今から開始されるんだと思いますけれども、私の知っている範囲で、これは極めて異例って言うけど、前例はないと思いますけどね。まあいずれ、いずれにしても、無実の罪で十…七年? 服役したというのは、こういったようなことはあっちゃいかん、つくづくそう思いますね」

 

 ――総理、似たようなケースがないとは言い切れない中で、日本で再審請求が認められるのは非常にレアケースだと思いますが、総理はどうお考えですか。

 

 「そうですねえ。あのー、今回の場合は、DNAの鑑定っていうのが大きなき、決め手になったんだと思いますけれども、昔のDNA鑑定のいわゆる科学的なレベルと今のレベルとは全然、あの倍率がまったく違うことになってるんで、そういったケースもあるんだと思いますが、これ一概に一般論としてちょっと答えるのは難しいです」

 

 ――総理、この件を受けて、冤罪防止のためにさらなる取り調べの可視化を求める議論が強まると思いますが、総理のお考えをお聞かせ下さい。

 

 「あ、可視化が、かの、必ずしも、それにつな、可視化にしたからといって途端に、あの、よ、それが良くなるという感じはありません」

 

 ――総理、そうは言っても、無実の人が捕まって刑に服することはあってはならないことだと思いますが…。

 

 「それ今答えた通りです」

 ――そういった国家のあり方を考える上で…。

 

 「国家のあり方ってどういう意味です?」

 

 ――冤罪が起きないような国にするために、総理は被疑者の言い分や自白がちゃんと録音されている可視化というのは必要だと思いませんか。

 

 「僕は、基本的、基本的には、一概に、可視化すれば直ちに冤罪が減るという感じがありません」(軽く頭を下げて立ち去る)

・・・

 

 

 確かに、久間氏は一貫して無罪を主張していながら、冤罪に陥れられたのですから、麻生氏の「可視化すれば直ちに冤罪が減るという感じがありません」との見解は皮肉を込めながらも頷かざるを得ません。

このように発言するならば、先の拙文《自白を尊重する裁判の矛盾》に記述しましたように、「裁判の過程で取調べ時の自白が覆ったら、それが新しい自白(自白の否認が正当)であるべきと認識すべきです

 

 麻生氏は「可視化すれば直ちに冤罪が減るという感じがありません」と語るなら、冤罪を減らす方策を提示すべきです。

少なくとも「有罪率:99%以上」との現在の司法体系の見直しを図るべきです。

 

 そして、麻生氏は、記者からの質問がなくとも「飯塚事件」(麻生首相のお膝元で起きたこの取り返しのつかない国家の殺人″)に対する見解を述べるべきだと存じます。

 

 

 更には、記者は「飯塚事件」に関する麻生氏のコメントを引き出すべきでした。

ところが、検察批判などに通じるこのような質問批判は朝日新聞も控えているように思えてなりません。

検察の不興を買って、小沢一郎氏のような目に遭いたくないとの配慮の結果と勘ぐりたくなります。

(朝日新聞とて、「色々探られても困る事は皆無!」と言い切れないでしょうから)

更には、

小泉純一郎氏に異を唱えたりし、痴漢事件で無罪を主張している植草一秀氏に対して、
6
27日の朝日新聞記事には
「被害者や目撃者の証言から植草被告の犯行だと認定し、最高裁に於いて被告側の上告を棄却する決定をした」
旨を記述するのみで、それらの証言の真実性を検証もしていません。

 

ですから、今回引用させて頂いた『週刊現代』の記事や、次に引用させて頂く東京新聞(2009614日)の(「再審請求前だったが執行の時期に誤りはなかったのか」と世に問う)記事の類を朝日新聞の紙面で目にすることは出来なかったのだと推量しています。

(他の新聞は?失礼ながらチェックする気力は起こりませんでした!)

 

 

死刑待てなかったのか 『飯塚事件』死後再審願う妻

 

 東の足利、西の飯塚−。一九九〇年代前半、初期のDNA型鑑定によって有罪認定された受刑者が、再審を求める二つの事件があった。「足利事件」の菅家利和さん(62)は十七年半ぶりに釈放されたが、二人の女児を殺害したとして死刑判決を受けた「飯塚事件」の久間(くま)三千年(みちとし)元死刑囚は昨年十月、七十歳で死刑を執行された。再審請求前だったが執行の時期に誤りはなかったのか。一方で事件の現場では「もう済んだ話だと思っていたが」との戸惑いが広がっている。 (荒井六貴、佐藤直子)

 

 「今、ここまで執行されているが、自分の番まではまだあるかな」。昨年九月、弁護団の徳田靖之弁護士が福岡拘置所で面会した際、久間元死刑囚は確定死刑囚のリストを示しながら語っていた。

 

 昨年十月中旬、足利事件の再審請求で、東京高裁が最新技術によるDNA型の再鑑定を実施する方針であることが報じられた。弁護団も希望を見いだした。しかし、久間元死刑囚は直後の同月二十八日に死刑が執行された

 

 足利事件の再鑑定の動きを知りながら、法務省は精度の低い初期の鑑定を基に刑が確定した死刑囚の執行に踏み切った。確定から二年というスピード執行だった。

 

 「早く再審請求をしていれば」と弁護団は悔やむ。「足利の再鑑定が動きだす中での執行は、判断の誤りではないか」と指摘する。足利の弁護団と連携しながら、年内に死後再審の開始を請求するが、捜査に使われた試料は残っておらず、足利の再鑑定で、初期のDNA型鑑定の信ぴょう性が疑わしくなったことを突破口にしたい考えだ。

 

 「弁護士さんに(再審請求の)意思は伝えています」。久間元死刑囚の妻は九日、福岡県飯塚市の自宅前で心境を明かした。弁護団によると、妻は事件後も地元を離れず、働きながら一人息子を育てたという。

 

 「足利のことはよく分かりません。(無実だという)本人の言葉を取り上げてほしかった。(死刑を執行されたら)言いたいことを言えないままでしょ」と、記者に厳しい視線を向けた。

 

 飯塚市内の同じ小学校に通学する一年生の女児二人=当時(7つ)=が、登校途中に姿を消したのは一九九二年二月。現場は民家の壁に囲まれた三差路とみられ、現在も通学路になっている。

 

 近所の無職男性(80)は「もう済んだもんだと思っていたが、どう判断していいのか」と戸惑いを見せる。

 

 二人の女児の遺体は約二十キロ離れた薄暗い雑木林で見つかった。現場には三十センチほどの二体の地蔵が置かれていた。久間元死刑囚の再審請求の動きに、女児の母親は「もう結構です」とだけ答えた。

 

 <飯塚事件> 1992年2月、福岡県飯塚市の小学1年女児2人が行方不明になり、遺体が南東部にある甘木市(現・朝倉市)の山中で絞殺体で見つかった。目撃された車などから、久間三千年元死刑囚が浮上。女児の体内から検出された体液のDNA型が一致したことや、車のシートの繊維が女児のつめから見つかったなどの状況証拠から福岡県警が94年9月に逮捕。捜査段階から否認を続けたが一審の福岡地裁は99年、「鑑定の証拠能力を肯定できる」と死刑を言い渡した。最高裁で2006年に確定し、昨年10月に死刑が執行された。

 

 

 第3者は無責任なものです。

「もう済んだ話だと思っていたが」と済ませてしまっていても、今回の久間氏の受けた災難がいつ自分達の身に降りかかるかもしれないのに!

 

 殺された女児の母親は「もう結構です」とだけ答えた。との事ですが、お母さんとしたら複雑な思いでしょう。

久間氏を犯人と思っていたかもしれませんし、又、久間氏が無罪なら、真犯人が依然として不明で逮捕されないのですから!

 

 

 そして、久間氏の無念さ、奥さんそしてお子様の無念さを私には推し量る事は不可能です。

(せめて私の出来る事として、この拙文をホームページに書きました)

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